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ソフトウェアエンジニア受難時代
ソフトウェアエンジニア受難時代
2022/12/27
ソフトウェアエンジニアにとって苦しい時代が到来しています。
イーロン・マスクがツイッターを買収し、非公開化した後、ただちに社員の半分を解雇したことは世間をアッと言わせましたが、それよりもっと驚いたのは、ツイッターは社内がガタガタになってもちゃんと動いているということです。
つまり今回のツイッターのリストラ劇は「ネット企業って、そんなにたくさん高価なエンジニアを抱えている必要あるの?」という素朴な疑問を抱くキッカケを作ったということです。
いまはアメリカ、日本、韓国のような先進国だけでなく世界のあらゆる処にブロードバンドが普及しています。そのことは国籍や人種や言語を問わず、腕さえよければ世界のどこからでもシリコンバレーの企業の仕事を受注できるようになったことを意味します。
ちょうど1990年頃、アメリカや日本のカイシャが中国に工場移転をするコスト削減手法を覚えたのと同じように、いまはソフトウェアの世界で「正社員から派遣へ」みたいなアウトソーシングが加速しているわけです。
イーロン・マスクが自信を持ってツイッターの正社員を次々に首にしている背景には(何となればアウトソーシングで代用できる)という読みがあるからです。
企業によってそういうコスト削減に積極的に取り組んでいるところもある一方で動きが鈍い会社もあります。大雑把な言い方をすればグーグルみたいな儲かっている会社ほど、この新しいトレンドに乗っかるのが遅れていると言えるでしょう。
しかし変化の波はいずれトップ企業にも押し寄せると思います。一例として最近突然BuzzっているチャットGPTなどは破壊的技術(disruptive technology)と言えると思います。
チャットGPTとはサンフランシスコの企業、オープンAI社が作った一種のチャットボットです。問答形式でチャットGPTに質問を投げると自然な会話形式で「模範解答」を自信満々に返してきます。その背後でチャットGPTは沢山のドキュメントを読み、絶えず学習しているわけです。
「こういうコードを書いて!」と頼めば、簡単なソフトウェアコードならサラサラと返してきます。つまりソフトウェアエンジニアの仕事のうち単純で退屈な「作業」の部分は、かなりチャットGPTで済ませてしまえるのです。
あるいは高校生が作文の宿題を与えられたらチャットGPTに「カフカの『変身』の感想文を書きなさい」という出題に対して、すらすらと完成した作文を返して来ます。
つまりチャットGPTは我々の仕事の仕方や学び方を劇的に変える可能性を秘めているわけです。
いずれスピルバーグの映画、『2001年宇宙の旅』のコンピュータHALのようにチャットGPTが我々の会話の相手、我々のコンパニオンになる時代が来るかもしれません。
いまのところチャットGPTはサイトが重いですし、回答には誤りが含まれている場合も多いし、きちんと人間がチェックしないと危なっかしくてそのままでは使えない代物です。
しかし『イノベーションのジレンマ』という著書の中でクレイトン・クリステンセンが論じたように、破壊的技術は最初、ちんけで不完全なのです。だからこんにちチャットGPTが非力だからといって、それがゆくゆく既存の大手IT企業のサービスを淘汰できないと決めつけることはできません。
その点、いちばん慢心が感じられる企業はグーグルだと思います。人々は料理のレシピや宿題をやるときにYouTubeを視聴し、ググることで自分なりに回答を編み上げてゆくわけですが、チャットGPTに頼めば、自分でタイプとかしなくても完全な形で回答が返ってくるので、あちこち調べる必要はなくなります。
グーグルの広告売上高はネット広告の8割近くを占めているし検索市場占有率は9割を占めています。するとこのマーケットが少しでもチャットGPTに侵食されれば失うものがとても大きいのです。
2023年という年はシリコンバレーのソフトウェアエンジニアにとって受難の年になると思います。なぜなら上に述べたような様々な新しいトレンドが彼らの高い給料を正当化できなくすると思うからです。
製造業が中国への工場移転で辛酸を舐めた1990年代が、いまシリコンバレーに知的生産活動のアウトソーシングならびにbotによる置換というカタチで再現されようとしているのです。
著者
広瀬 隆雄(ひろせたかお)
コンテクスチュアル・インベストメンツLLC マネージング・ディレクター
グローバル投資に精通している米国の投資顧問会社コンテクスチュアル・インベストメンツLLCでマネージング・ディレクターとして活躍中。
1982年 慶応大学法学部政治学科卒業。 三洋証券、SGウォーバーグ証券(現UBS証券)を経て、2003年からハンブレクト&クィスト証券(現JPモルガン証券)に在籍。