ウォール街の起源
ウォール街はニューヨーク証券取引所(NYSE)が所在する通りの名前です。それが転じて現在では、米国の金融機関や投資コミュニティの総称となっています。
マンハッタン島は1620年代初頭にオランダ西インド会社の植民地として入植が開始されました。
その経営を任されたピーター・スタイビサント長官は、入植地の北限に延長408メートルの板塀(wall)を張り巡らせることを指示します。これは飼っていた豚や山羊が逃げないようにするための措置でした。
その後、入植地は手狭となったため、板塀は取り壊されましたが、ウォール街の地名だけは残ったのです。
1700年代の後半になると、このウォール街に生えていた大きなボタンの木の下で、自然発生的に証券の取引が開始されはじめ、1792年に「ボタンの木の協定」によって取引ルールが決められます。これが今日のNYSEの発祥だと言われています。
NYSE
NYSEは世界最大の株式市場で、2015年9月末の時点での上場企業の時価総額の総計は18.9兆ドル(約2,300兆円)でした。
最近は電子取引市場が増えている関係で、NYSE上場銘柄の売買は、必ずしもNYSEの立会場のみで成立するわけではありません。実際には「サード・マーケット」と呼ばれる、業者間市場で売買が成立する場合も多いです。
NYSEはその後、インターコンチネンタル・エクスチェンジ(ティッカーシンボル:ICE)と言う会社に買収され、その一部門となっています。
ナスダック
さて、アメリカにはNYSEの他に、もうひとつ有名な取引所があります。それがナスダック(NASDAQ)です。ナスダックは株式を上場しており、ティッカーシンボルはNDAQです。
いまナスダックは「取引所だ」と書いたのですが、実際にはNYSEのような立会場は存在しません。なぜならナスダックは証券会社間での相対(あいたい)の電子取引所だからです。つまり証券会社のトレーディング・ルームに設置されているコンピュータのモニターが実質的な取引所だということです。
これは今日では当たり前のことかも知れませんが、1971年に新興企業の株式を電子取引市場でトレードすると宣言したときは、極めて画期的な試みでした。
ナスダックの創設の時期と、アメリカ経済の成長の中心が、それまでの重厚長大産業から、テクノロジーやヘルスケアなどへ移ってゆく時期とはちょうど重なっていました。
ナスダックはインテル(ティッカーシンボル:INTC)、マイクロソフト(MSFT)、アップル(AAPL)、アムジェン(AMGN)などのニュー・エコノミーを代表する企業を招致することに成功しました。
さらに1990年代半ばにはインターネット・ブームが起き、シスコ・システムズ(CSCO)、アマゾン・ドットコム(AMZN)、アルファベット(GOOGL)などの新しい企業が加わりました。
ぼやける境界線
このように従来は「オールド・エコノミーの株はNYSE、ニュー・エコノミーの株はナスダック」という暗黙の了解がありました。
しかしNYSEはニュー・エコノミーの企業を勧誘しなければ先細りになるという危機感から、ナスダックと激しく競争しはじめています。
日本株の「銘柄コード番号」に相当するティッカーシンボルも、昔は、NYSEは1〜3文字、ナスダックは4文字以上と決まっていたのですが、両取引所間での競争激化に伴って、今ではこの慣習も破られています。
一例としてフェイスブック(FB)のティッカーシンボルは2文字ですが、上場先はナスダックです。
逆にツイッター(TWTR)のティッカーシンボルは4文字であるにもかかわらず、上場先はNYSEです。同様にアリババ(BABA)もNYSEが上場先となっています。
言い換えればティッカーシンボルの文字数を見ただけで、その銘柄の上場先を知ることはもはやできなくなったということです。
投資家はNYSEかナスダックかを気にせずトレードできるようになった
ただ、我々がトレードをする際のNYSEとナスダックとの間での使い勝手の差も殆ど無くなっていることも事実です。
従来、NYSEは顧客の売り・買い注文をスペシャリストと呼ばれる立会場のトレーダーが突き合わせる方式でした。
これに対してナスダックは顧客が個々の証券会社と相対で取引する方式でした。
かつては、NYSEでの取引はBid(買い呼値)とAsk(売り呼値)のスプレッドが狭く、ナスダックの取引ではスプレッドが広いのが常識でした。
しかし(1)電子取引の発達と、(2)ナスダックがNYSEを真似て委託手数料を徴収する方式に改めたことでスプレッドはとても小さくなりました。
その結果、こんにち私たちが米国株をトレードする上でのNYSEとナスダックの差異は実質的に消滅しています。